私はただ生きたいだけだ

ノイローゼとして10年以上社会に溶け込むべく生きてきたが、そろそろ限界を感じている

職業人としての限界を感じて、私はブログを書き始める

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あまりネガティブなことは言いたくないけど、職業人としての限界を感じている。

「今すぐ人生を辞めたい」というほど切羽詰まっているわけではなく、「将来が不安」というほど漠然とはしていない。言葉にできそうで、できない。曖昧だけど確かな苦しさだ。

私はもう限界だと感じている。

職業人としての限界

これまで正規・非正規合わせていくつかの仕事をしてきた。

業務自体はどれも楽しく行えた。私は基本的に作業と相性がいいし、対人コミュニケーション能力が低いというわけでもない。だからか、イヤイヤやった仕事なんてほとんどない。せいぜい食品工場勤務をすぐに逃げ出したくらいだ。

だけど、私は、もっと明文化されていない(そしてだからこそきっと本質的な)部分で、そのつど何かを満たせず、何かに満たされず、絶望した。

私はいつだって精一杯努力し、それでも手に入れられない何かを諦めた。ノイローゼ(神経症抑うつ)が生活の一部になって睡眠導入剤が生活の一部になって、もう十年以上経つ。

処世術だけで日々を首の皮一枚つなぎ、その表面下に疲れと不安を溜め込むことが私の人生そのものになっている。

ついにはようやく職業人として向いていないという点に落ち着いた。

とはいえお金がなければ飢え死にしてしまう。

諦められることと諦められないことがある

私は飢え死にしたくない。

私はまだ人生に絶望していない。少ないながらも気の置けない良い友人がいる。日々に楽しい出来事は起こる。面白い漫画がたくさんある。なにより人生を諦めるにはまだ若い。

あと20年もすれば、仕事なんてものは一部のエリートしかしていない時代がきっと来る。機械化・人工知能化が進み、第一次〜第二次産業は完全自動化される。食品はぐんと安くなり、しかもベーシックインカムが導入さる。

「一つでも多くの個体を生存させる」という種の努力によって、「生き延びられる社会」への変革は絶え間なく続く。数えきれないほどの社会的弱者に生存が許され、やがて私のような半端者にもその席が来るだろう。

私は将来を楽観している。

そこまで生き延びればいい。

今からでも間に合うのか、箱舟の整理券に

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そういった思考の経緯があって、ブログを始めた。

はてなブログで始めたのは、私のように苦しむ者が、わりあい多いように見えたからだ。アメブロは華やか過ぎるし、wordpress はまっとうすぎる。

この時期にブログを始めるのは遅すぎるのかもしれない。

年齢的にも「現実を見ろ」と言われるころあい(しかし、私は現実を見たからブログを始めたんである)。世間としても5年遅かった気がする。巷には才能溢れるブロガーやアフィリエイターが満ちている。その市場で私が生き延びれるだけの隙間は残っているのだろうか。

でも、

私は億万長者になりたいわけじゃない。社会的に成功したいわけでもない。

ただ、生き延びたいだけだ。

生き延びるために文章を書く。いいじゃないか。私の文才なんてたかが知れていて、小説家を目指そうとは思わない(過去には思ったことがある)。私の文才なんてたかが知れていて、100億円売れるセールスページを作ろうとも思わない。

ただ、たかだか一人の人間が、ギリギリ飢え死にしない程度に、ウェブ文脈空間を満たすことくらい、できてもいいじゃないか。

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